2度目の初恋 5話 ちいさな変化












響也のことを思い出すことができないまま過ぎていく日々。
は何度も彼に話しかけていたものの音楽準備室で彼と鉢合わせて以来、一方的に避けられていた。

『…どうしたらいいかわからねーんだ……この先お前なしで…』

あの時の彼の言葉と涙が頭から離れなくて、早く思い出さなきゃと焦るものの、記憶が戻らないどころか2人の距離も縮まることはなかった。
そんな毎日は、ある日突然終わりを迎える。

そのきっかけは3月に入った昼休み、が須永に呼ばれて教員室に行ったときのことだ。





さん。これこの前欲しいっていってた楽譜」
「ありがとうございます!」

そういって須永からに手渡されたのは1曲の楽譜。

「それ結構難しいから、1年生のためにも早めに合わせた方がいいかもねぇ」

卒業式にオケ部で演奏する曲の楽譜が教員室にあると言われ、須永に探してもらっていたのだが
いざ手渡された楽譜を見てみると、簡単に弾けるような曲ではないのがにもすぐわかった。

しかし、演奏するのは3年生の大事な卒業式。
律や大地、そしてその他大勢のお世話になった先輩達をいい演奏で送り出したいと思う。
そして、それはおそらくオケ部全員の思いであり、は一刻も早く楽譜を部員全員に渡した方がいいと
教員室の隣の部屋にあるコピー機を借りて、すぐに全員分を印刷することにした。

「このコピー機は自由に使っていいよ。…あと、俺はちょっと昼休み中にやらなきゃいけないことがあるから手伝えないんだけど1人で大丈夫?」
「大丈夫です!楽譜ありがとうございました」

コピー機のある部屋を申し訳なさそうに出ていく先生にお辞儀をして、一人になった部屋で早速コピーに取り掛かった。

最初は苦戦して用紙にうまく収まらなかったりと時間がかかったものの、無事に全員分印刷することができて安堵の息を漏らす。
そのまま視線を机の上に向けると、目の前にはコピーした楽譜が積みあがっていた。
その楽譜を紙袋に入れて持ち上げようとするが、4袋分にパンパンに詰まった楽譜の重さには絶句する。

「け、結構な量だけど…いけるかな?」

コピーに苦戦したため、昼休みも残すところあとわずか。
一回で運びきらないと午後の授業に間に合わないと思い、そのまま全ての紙袋を持って部屋を出ることにした。

(お…重い…っ!)

両手に持った楽譜の重さのせいでおぼつか無い足取りのまま、廊下を歩いていく。
心の中で時折弱音を漏らしながらも、どうにか音楽準備室へ向かう階段の前までたどり着くことができた。
は階段の前で一旦立ち止まり、紙袋を床に置いて肩を大きく回しながら深呼吸をする。

「ふぅー…よーし!」

気合を入れなおして楽譜を持ち上げようとした、その時だった。

「あーーー、ちょっと待てっ!!」

突然背後から声が聞こえて、その声の方へ視線を向ける。
すると響也が慌てて近づいてきた。

「え…っ、響也くん?」

つい昨日まで避けられていた響也に突然声をかけられたせいか、はきょとんとした顔で彼の方を見た。
その隙に響也はあっという間にの傍に来て、彼女の足元に置いてあった紙袋を軽々と持ち上げる。

「あ…っ」
「これ、卒業式にオケ部で演奏する楽譜か。音楽準備室に置いておきゃいいんだろ?」
「う、うん。でも…っ」
「ばーか。お前こんな重いの1人で持ってこうとしてたのか?…ほんと相変わらず馬鹿真面目っていうか…何というか……」

"変わらねーよな"と優しく言葉を付け加えて笑った。
その笑顔にの胸はドクンッと大きく脈を打つ。

「俺も一応部長だし、後はやっとくから。お前はまだ飯食ってないんだろ?早く飯食ってこいよ」

ヒーローのように突然助けに現れた彼の優しさがうれしくて、は大きく笑った。

「…響也くん、ありがとう!」
「…っ、おう」

響也はの笑顔をみると、すぐにくるっと彼女に背を向けて階段を降り始める。
彼もまた彼女の笑顔に胸が高鳴り、顔が赤くなっていた。

たった数分の短い出来事。

は彼の背中が見えなくなっても、その優しさに胸が大きく脈うっていた。
しかし、同時に胸がズキズキと痛みを感じている。
この複雑な感情に名前を付けることができなくて、違和感を感じながらもはただ彼のことをもっと知りたいと心から思った。







そこから、少しずつ変わっていく2人の関係。

ささいなことで笑い会ったり、お昼を一緒に食べたり。
放課後にオケ部の話をしたり。

そんな関係の変化のきっかけとなった昼休みから数日がたった放課後。
は鬼教師で有名な小倉と共に練習室にいた。

『…この程度でよく俺のレッスンを受けたな、…その度胸だけは認めてやる』

小倉が怖い笑みを浮かべて言った一言から、地獄のヴァイオリンレッスンが始まった。
が演奏をするたびに、小倉からの厳しい指摘が入り、あっという間に1時間のレッスンが終わる。

『今日言ったところは全部弾けるようにしてから次のレッスン予約しろよ』

そういって小倉が練習室から出ていくと、は譜面台に置かれた楽譜に視線を戻す。

楽譜には先程のレッスンの指摘事項がびっちりと記入されていて、の心は折れそうになったが
純粋にもっとうまくなりたいという思いから一人残って練習することに決めた。

無我夢中で何度も反復練習を行って、先ほど指摘された数か所がどうにか弾けるようになり安堵の息をもらす。

「ふぅ、やっと弾けた…」

構えていたヴァイオリンをゆっくりと肩からおろした。
既に窓の外は日が暮れて真っ暗で、携帯で時間を確認すると9時を過ぎている。

は慌ててヴァイオリンをしまい、ジャケットを羽織って練習室を後にした。
校舎の外に出た瞬間、まだ冬の名残を残した冷たい空気が体を包み込む。

「…うー、3月なのに寒いし…それにお腹すいたなぁ」

菩提樹寮での食事は、6時から8時までの間に取ることになっていて、それを過ぎると食べることができないルールだった。
は今までも何度か今日のようにヴァイオリンの練習に没頭して食事に間に合わないことがあり、
その度にスーパーやコンビニのハラショーに寄ってご飯を買って帰ることにしている。
"今日はどうしようかな…"と、夜ご飯のことを考えながら1人とぼとぼ歩いていると、すぐ横から声をかけられた。

「…よ、お疲れさん」
「きゃっ!!」

突然聞こえた声に驚いて飛び上がりながら振り返る。
驚いた様子のをみて、校門にもたれかかっていた響也は笑った。

「ったく、お化けでも出たような声だすなよ」
「そんなこと言ったって…」

はバクバクとうつ心臓の音を落ち着かせようと深呼吸をする。
その間に響也はの正面に立って、彼女のおでこに優しくデコピンをした。

ーーーーペチッ

「っ!?」

デコピンをされたおでこを咄嗟におさえ、は驚いて響也を見上げる。
彼の顔は先程の笑顔とはうってかわって真剣な表情をしていた。

「お前なぁ、今何時だと思ってんの」
「…あっ」

その一言に、ははっと息をのむ。

事故にあった後、特に目立った怪我はなく普通に学校に通えることになったものの
心配性の律やニア、そして響也から『夜遅くに一人で出歩かないこと』と言われていた。
はその約束を思い出し、約束を破ってしまったことに深く反省して俯く。
そんな反省している様子のをみると、響也は大きなため息をついた。

「はぁ…お前は―――」
「…ごめんなさい」
「……はぁ」

響也の2回目のため息は、1回目とは違って自分に対してのため息だった。
反省してしゅんとしているをみたら、何も言えなくなる自分に大きなため息をついたのだ。

(…昔からつくづくこいつに甘いよなぁ…俺は)

響也はそんなことを想いながらふっと顔を緩ませて、が持っていたヴァイオリンケースと鞄を優しく取り上げる。

「え?」
「…お前はこっち」

そういっての手のひらにそっとポケットから取り出したものをのせる。
突然のせられたものは響也のポケットで温められた『ポカポカくん』だった。
の冷たい手のひらが『ポカポカくん』で温められていく。

「あったかい…」
「だろ?温めといてやったんだ感謝しろよ」
「…ありがとう」

にっと笑う響也の笑顔に、胸が熱くなっての顔から思わず笑みがこぼれた。
温かいのは手のひらだけのはずなのに、不思議と胸の奥も頬も、そして体中が温かくなっていく。

「お前に練習するなとは言わねーから、遅くなる時はせめて連絡しろよ。…また勝手に事故られたらこっちが困る」

響也はが微笑んでいるのをみて、またつられて笑った。

「ほら、さっさと帰るぞ。ハラショー寄ってくだろ?」
「うん!」
「じゃ、心配させたお詫びに肉まん1つな」
「えっ!!」

ゆっくりと先に歩き始めた響也の後をはおいてかれないように歩き出そうとした時だった。
上昇する体温に、高鳴る鼓動とチクリと痛む胸。

その胸に手をあてて響也の背中を見つめる。

幼なじみだったから、今も大切にしてくれるのだろうか。
恋人だったから、今も優しくしてくれるのだろうか。

ふとそんな疑問を感じた時に、胸の痛みの理由がはっきりとわかった。




(ーーーーあぁ、そうか。私は記憶喪失になる前の自分に嫉妬しているんだ…)




胸の痛みがおさまるようにとあてた手に力を込める。
それでも、痛みはおさまることはなくて、はどうしていいかわからないまま彼の元へ走った。















長編連載再開しました。これからはペースあげて更新していけるようがんばります!

主人公が記憶を無くす前まで、当たり前のように優しかった響也の行動。
記憶を無くしたことで、幼なじみフィルタも外れ、もっとその一つ一つの優しさに気づけるようになるのではないか、
ということで優しさイベント2つ書いてみました。
4の響也が校門で主人公の帰りを待っててくれるところがたまらなく好きなんですよね…!
ということで、無性に書きたくなって書いてしまいました。

主人公の心境の変化から、次回二人はどうなるのか…。
というわけで、次回に続きます。いつも続いてすいません。

これからもよろしくお願いいたします^^(2016/10/20)