2度目の初恋 4話 モノクロシンドローム










の記憶喪失から数日が経とうとしていた。

特に変化もなく、毎日が過ぎていく中、準備室で彼女と鉢合わせてからは
挨拶を交わしたり、オケ部の事務的な話をするだけ。
彼女は鉢合わせた時のことなど気にしていないのか、時々話しかけてくるようになったものの俺が距離をとって接するようになっていた。

近づいてしまえば、幼馴染だということも、そして恋人だということも、
全てなかったことにしてほしいと言われてしまうような気がして怖かったから。

”時間がいつか解決してくれる、だから気にするな”
俺はそんな周りの言葉を受け入れるように、彼女を避けながらただ時の流れに身を任せていた。

ある日いつものように目覚まし時計がなり、目を覚まそうと重いまぶたを開いた。
ぼやけていた視界がはっきりしてくるにつれて、違和感を感じる。

共感覚をもっていたせいか、幼い時から音に色がついて見えていたのだが
目覚まし時計の音はモノクロだった。
加えて窓の外から聞こえてくる通りを歩く人の声や車の音も、目覚ましの音と同様に色がついていなかった。

俺は慌ててベッドから起き上がり部屋の中を見渡すと、自分を取り巻くすべてのものが色を失っていた。

「はっ…、なんだよこれ」

もしかしたら夢を見ているのだろうか。

疑心暗鬼のまま、ベッドから飛び降りて洗面所に向かう。
蛇口をひねり冷たい水を思い切り出して、顔を洗った。
そして濡れた顔をあげて目の前の鏡を見るも、鏡にうつる世界は相も変わらず白黒のまま。

真冬の冷たい空気が肌をさす中、何度頭から水を浴びても、目の前に広がる世界は変わらなかった。
心の痛覚が鈍っているのか、次第にその出来事ですら素直に受け止めている自分がいて、俺は大きなため息をついた。
















世界から色がなくなって1週間が過ぎ、3月に入る。
季節は色で溢れる春を迎えようとしているのに、俺は未だにモノクロの世界に取り残されていた。

























『オケ部の部長に関する引き継ぎをするから、放課後音楽準備室にきてくれないだろうか』

律からのメールを受信した俺は音楽室に隣接する準備室へと向かった。
ドアを開けようとドアノブに手を伸ばすと、中から人の気配を感じ伸ばした手を止めてドアについている窓から中を覗く。

「…というわけで、お願いします」

部屋の中にいたのはと大地だった。
2人は準備室の窓際で向かい合って話しをしており、彼に向かって嬉しそうに微笑むをみて胸が痛んだ。

ちゃんのお願いなら、仕方ないね。今度聞いておくよ」
「ほんとですか?ありがとうございます!」

その様子をじっと見つめたまま俺は微動だにせずその場に立ち尽くしていると、ドアが突然開く。

「…響也くん。中に入らないの?」

ドアの外に響也がいることに気づいたは、彼を招き入れるようにドアを開けた。
俺は彼女から視線をそらして部屋の中に入る。

「あ、あぁ…悪い。邪魔したみたいで」
「え、全然邪魔じゃないよ。だって、大地先輩から副部長の引き継ぎ資料もらってただけだし」

は響也が視線を合わせようとしないことに、一瞬寂しそうな表情を見せる。
しかし、すぐに次の用事があることを思い出したのかいつもの表情に戻り、慌ててヴァイオリンケースと鞄を持ちあげた。

「これから、須永先生との練習なのでそろそろ行きますね。副部長の引き継ぎ資料ありがとうございました!...響也くんも、またね」

彼女は二人にそう言い残して部屋を出て行った。
大地はに手を振っていたが、彼女の姿が見えなくなると大きなため息をつく。

「はぁ…、響也。そんなあからさまに彼女を避けてると、いつかちゃんに愛想つかされるよ」
「...別に避けてねぇし」
「へぇ…、無自覚の方がなおさら性質が悪いね」

響也は何も言い返せないままイライラした表情で準備室の椅子に座る。
そんな響也をみて大地は少し考えるような顔をし、先程よりも小さなため息をついた。

「ま、直接聞くのが早いか…ちゃんのお願いだしなぁ」
「は?」

突然大地の意味の解らない発言に響也は身構える。

「響也。最近、何か変わったことあった?」
「...な、何だよ突然」
「たとえば、目が最近見えづらいとか、乾燥するとか、痛むとか、かゆいとか」
「!?」

もしかして目の異常について大地は気づいているのだろうか。
色を失ったことは誰にも言っていないし、普通に生活していたらばれることなんてないと思っていたのに。

響也は動揺を隠すように、小さく咳払いをした。

「なんでそんなこと急に聞くんだよ?」
ちゃんが、ここ最近響也の目の動きに何か違和感があるって言っててね」
「えっ、が…?」
「彼女もただの勘だって言ってたから聞くに聞けないそうでね。しかも、どうも避けられているみたいだから、俺から聞いてほしいって頼まれたんだよ」

誰にも知られていないはずの、モノクロの世界。
俺のことなんて綺麗さっぱり忘れてしまっているのに、なんであいつはわかるんだろう。

不思議だと感じると同時に、彼女が気にかけてくれていたことがうれしくて胸が熱くなった。
急に黙ってしまった響也をみて、大地は心配そうに眉間にしわを寄せる。

「…まさか、本当になんかあったのか?」
「いや、別に何もねーよ。心配し過ぎだって!」

もし仮にこの症状が彼女に気づかれたら、きっと彼女は自分を責めるに違いない。
そうなるのなら、このことは自分だけの秘密にしておこうと思っていた。

「…そうか?まぁ、何かあったら言ってくれ。力になれることはあるかもしれないからな」
「あぁ、さんきゅ」

大地はなんとなく響也の本心に気づいたようだったが、響也の決意は固そうでそれ以上は聞くまいと小さく息を吐いた。











































大地が帰った後すぐに律が部屋に現れて、オケ部の部長に関する引き継ぎの打ち合わせを行った。
真剣に引き継ぎを受けていると、オケ部の部長にはならないと頑なに拒んでいた自分が懐かしくなる。




普通科に行こうとしていたのを止めて、音楽科のまま進みヴァイオリニストを目指そうと決めた冬休み明け。

『副部長、私が?』

夕焼け色に染まった音楽準備室ではあっけにとられた表情のまま響也を見つめていた。
先程オケ部全体ミーティングにて部長を決める投票を行った結果、響也が選ばれて部長となることが決まった。
部長は部内の投票で決めるが、副部長は部長の指名で決める。
そのため、響也はすぐさまを呼び出して副部長に指名したのだ。

『そ、お前なら変に気を遣わなくて楽だし、何してもうまくサポートしてくれるだろ?』
『まぁ、それは間違いないけど…』

うーんと考え込む
すぐに快諾してくれるものだと思っていた響也は、渋っているをみて不安そうな顔をする。

『…なんだよ、嫌なのか?』
『嫌なわけない!…私も、響也を一番近くで支えるのは嬉しい…けど……恋人同士なのにいいのかな?』

ジルベスタ―コンサート後に、響也からの告白で付き合い始めた2人。
そんな関係でオケ部をまとめてもいいのだろうか、と不安を感じているに響也は顔を緩ませた。

『…あー、なるほど。っつーか、俺とお前が付き合ってるなんてみんな知ってるし、別にいいんじゃねーの?第一お前部長投票で得票数第2位だったんだろ』
『そうだけど、って…え!?』

突然響也の顔が近づいてきて、優しいキスを落とされる。
すると、の顔は夕日の色と同じ真っ赤な色に染まり、響也は笑った。

『こんな風に恋人らしいことするのは、二人きりの時だけに決まってんだろ?そうじゃねーと、お前こんな風にゆでだこみたいになるし』
『う…っ!』
『それとも、何?皆に見せつけてやりたい、とか?…さん、やーらしー』
『見せつけるわけないじゃない!響也の馬鹿!もう、やればいいんでしょ、やれば!』

俺は自分が部長をやる羽目になるとは思わなかったが、彼女がいたからがんばろうと思えた。





約2ヶ月ほど前の出来事が、今では何年も前のことのように感じる。

「…というのが1年の流れだ。まぁ、お前の方が後輩とも打ち解けているし問題はないだろう」

ざっと律から説明を受け終わると既に太陽が沈み下校時間となっていた。
律と帰る支度をしていると、響也は小倉に呼ばれていることを思い出して大きなため息をつく。

「響也、このまま帰るか?」
「…いや、ちょっと小倉先生に呼ばれてたの忘れてたから先帰っててくれ」
「あぁ、わかった」

そういって律と別れた後、俺は教員室へと向かった。
廊下を歩いていると通りがかった練習室の1室だけ明かりがついているのが見える。

「…こんな遅くまで練習?誰が…」

響也は明かりのついた練習室にそっと近づくと、扉がきっちりとしまっていないのか部屋の中からヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
その部屋の中から聞こえてくる曲に驚いて足を止める。

「バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ…」

なめらかに響き渡る音色。
この音はもしかして…、そう思いながらそっとドアについている小窓から部屋の中を覗くと、予想通りが演奏していた。

この曲は難易度が高く、冥加や東金のレベルでないとちょっとやそっとの練習で簡単に弾けるような曲ではない。

去年初めて課題でこの曲を渡されたときは、弾きこなせなくて何度も挫折を味わった。
それでも、繰り返し練習してこの曲を弾きこなせるようになった時、がむしゃらに夢に向かうことが怖かった俺でも
いつの間にかヴァイオリニストになる、という夢ときちんと向き合えるようになっていた。

俺が無我夢中で練習できたのも、先の見えない未来にだって進めると思えたのも、が傍にいたからだと思う。

俺の悪口を聞いたお前が、見返してやろうと東金や冥加抜きでコンサートを成功させたこと。
横浜アリーナという大きな舞台でジルベスタ―コンサートを成功させたこと。

どれもお前はその成功の裏で、必死にヴァイオリンを練習していた。

下校時間になっても帰ろうとしないし、みなとみらいの真冬の空気の中声をかけるまで止めようとしないし、
挙句の果てに菩提樹寮の塔の上で練習しろよと言ったら、これでまだまだいっぱい練習できると目を輝かせてるから、俺はその姿勢に脱帽した。

ただ目標のためにまっすぐにヴァイオリンと向き合って、練習して。
全力で走ろうとする姿にいつの間にか俺も感化されていたんだ。

無茶をやってもいいんだって、
失敗を恐れてやらないよりも、やった方がいいんだって。

この曲は、俺が強くなったきっかけでもあり大切な思い出の曲だ。

「また、俺の知らないところで、どんだけ練習してんだよ、お前は…」

廊下に座り込み、壁にもたれかかったまま天井を仰いだ。
未だに世界はモノクロのままで、彼女の音にも色は見えない。

「…お前の音は今、どんな色してるんだろうな」

そっと頭上にあるモノクロの色をしたヴァイオリンの音色に手を伸ばした。
すると、次第にその音に色が溢れ出す。

「…っ!」

鮮やかな色が世界に広がっていく。
そしてそこには変わらない色をした彼女のヴァイオリンの音が溢れていた。

ジルベスタ―コンサート前に、お前はいつだって俺のことを『大切な幼馴染』だといっていたけれど、
お前は幼馴染以上の感情をただ考えたことがないだけで、気づいていないだけだってわかっていた。
ある日突然避けられた理由も、言葉なんてなくても、俺はわかっていた。

彼女が俺の好きな曲を弾く時、俺と2人練習をする時、
一緒にアンサンブル演奏をする時、その時のヴァイオリンの音色はいつも俺を想ってくれる色をしていた。
その色は彼女のいつものキラキラした綺麗で暖かい色に加えて、まるで七色のような輝きを放つ。

今彼女の音が同じ色で彩られて、俺を包み込んでいた。

「…っ」

とめどなく涙が溢れて、視界がゆがむ。
色を取り戻した世界は心の傷を癒すように微笑みかけて、俺はただその色に手を伸ばし続けた。

俺の大好きで一番大切なあいつの音色は、俺を思う気持ちで溢れてる。


ーーーー響也のことが大好きだよ


記憶を失う前も、そして失ってからも変わらない。
言葉なんてなくてもいつだって俺を想う色で語りかけてくれるから。

「…あぁ、知ってる」

















ストレスで色を失うこともあるらしいとネットで見ましたが、あくまで妄想のお話です。
共感覚や色を失う症状などは捏造ですので、ごめんなさい。

彼女の記憶は失っても、ヴァイオリンの音色だけは同じ音色でそして同じ色。
そしてその音は、響也を想ったときにだけ出てくる色だということにやっと気づいたお話です。

やっと響也がちょっと上昇できた感じですが、まだ続きます。
1回第4話を書いた後、気に食わないと一気に書き直したので時間がかかりました…(汗
エンドまであと2,3話の予定ですのでもう少しおつきあいいただければ幸いです。(9/16/2016)