2度目の初恋 3話 ひとり取り残された世界











ーーーーーピピピピピッ

響也は手を伸ばして大きく鳴り響く目覚まし時計を止めた。
体を起こそうとするも、まるで自分の体ではないように重く感じる。
そのまま目を閉じてもうひと眠りしたい欲求を我慢し、ゆっくりと体を起こして身支度を済ませ菩提樹寮の食堂へと急いで向かった。

食堂には既にニア、律、そしてがいて、3人はちょうど寮母が作った朝ご飯をテーブルへ運び朝ご飯の準備をしていた。
一昨日の夜に事故で入院し、昨日退院したとは思えない程元気そうなをみてほっと胸をなでおろす。

「おはよう、響也。今日は早くて珍しいな」

少し離れたところに立ち尽くしていた響也に気づいた律は声をかける。
すると律の後に、ニアがいつものようにからかい半分に続く。

「あぁ、確かに。今日の天気が大荒れにならないといいが」

平日の朝は寝坊することの多い響也が、珍しく朝食前に食堂に降りて来るときは決まってこのやり取りが行われていた。

『もう、響也はいっつも遅いんだから』

いつもならそう言って、ニアの後に優しく続くだったが今日は違った。
ニアの隣に立ち、俺の方をみて少し緊張した表情を見せている。

「…あ、響也くん。おはよう」

"響也くん"

彼女から呼ばれる名前を聞き、昨日までの出来事が夢ではないという事実を突きつけられて胸がズキッと痛んだ。

昨日が病室で目を覚ました後、俺に関連する記憶が全てなくなっていて、いてもたってもいられなくなりそのまま病室を飛び出した。

すぐに追いかけてきた律に呼び止められ、一旦落ち着きを取り戻したものの、そのまま彼らと学校に向かってもずっと上の空で。
講師がクラスの前で、の事故の話や記憶喪失の話をすると教室がざわつき、クラスメイトに心配そうに声をかけられたのは覚えている。
事実が受け入れられなかった俺は、学校が終わると急いで律と共に菩提樹寮へと帰った。

既に退院して菩提樹寮へ戻ってきていた
祖父が長野に帰るのを見送った後、そのまま律やニアと共に彼女にアルバムを見せたり、
思い出話をするも一向に記憶が戻る気配はなかった。

『響也、目が覚めたらの記憶が戻ってるといいな』
『…そうだな』

昨晩、部屋に戻る時律と廊下で話したのを思い出し拳を握り締めた。

一晩寝たらもしかしたら記憶が戻っているかもしれない。
そんな希望が一瞬で打ち砕かれるも、響也はなるべく平常心をたもちながら口を開く。

「…あぁ、おはよ」

2人の様子をみて律とニアは心配そうな顔を見せるも、すぐに何事もなかったかのように振る舞った。
そして、立ち尽くすと響也に早く座るように促す。

「遅刻するからそろそろ食べ始めるぞ。、響也」
「あ、うん。そうだね」
「…あぁ」

2人は頷くと着席し全員で朝食を食べ始めた。

しばらくギクシャクした空気が流れるもそれを断ち切るかのように、ニアは皿の上にあったブロッコリーをの皿に移動させる。
その様子をみては思わず笑った。

「もう、ニアったら。ブロッコリーも食べなきゃだめだよ」
「まぁ、そういうな親友。昨晩食べ過ぎてお腹がいっぱいなんだ」

時折出てくる朝のメニューの付け合せのブロッコリー。
4人という少人数で一株を全て使い切ろうとしているためか、毎回1人当たりに添えられている量が多い。
そこまでブロッコリーを好きではないニアは、決まって隣に座っているのお皿に移動させるのだ。

「しかたないなぁ」

そういいながら、も自分の分を食べるのに精いっぱいでお皿の上にいっぱいになったブロッコリーをみて困惑する。
そして、目の前の律に恐る恐る声をかけた。

「律君、ブロッコリー…いらないよね?」
「…遠慮しておこう」
「だ、だよね」

残念そうな顔をするは、その隣に座っている響也の顔を見て声をかけようか悩んでいる様子だった。
いつもはそこで、『響也も手伝って、お願い!』とすかさず言ってくるのだが、今日はどう切り出していいかわからないのか言ってこない。
見かねた響也は自分の皿をの方へ差し出した。

「ったく…ほら、食べない分をよこせよ。俺が食うから」
「え!?いいの?ありがとう!」

嬉しそうに笑うをみてドクンと胸が高鳴った。

いつものお願いに『しかたねーな』としぶしぶ返すと、こうやって笑顔を見せる。
その笑顔がたまらなく好きだった。
今のその笑顔は変わらないはずなのに、まるで別の誰かに向けられているようで胸が痛んだ。

響也は胸の痛みをごまかすように、皿の上にのせられたブロッコリーを次々に口に入れる。
その後は何気ない会話をして、朝ご飯を食べ終わると食器を片づけて各自部屋に戻った。

「あー…しっかりしろ、俺」

鏡に向かって自分の頬を叩き喝を入れる。
そして、いつも通り身支度をささっと済ませて寮の入口に向かう。

「あ...」

すると、同じタイミングで女子寮から歩いてきたが響也に気づくと、驚いて立ち止まる。

「...なんつー顔してんだよ。ほら、さっさといかねーと遅刻するぞ」
「う、うん」

響也が切なそうに微笑むと、は頷き慌てて靴を履く。
そして2人は急いで学校に向かった。

























学校に到着すると、いつも通り授業が始まり時間が過ぎていく。
退屈な授業中、何気なく肘をついて、欠伸をしながら窓の外を見ようと横を向く。
するとが視界に入った。

(…っ)

胸がまたドクンと脈を打った。

冬休み後に席替えをしてから、窓際の前から2番目に座っている彼女。
そして、俺はそんな彼女がすぐ見える斜め後ろの席に座っている。

1月の席替えはくじ引きで行われた。
クラス全員が列になって順番にくじをひいていき、黒板に書かれた座席表に書かれた番号の席に向かっていく。
響也が引いたのは最後の方で、くじを引きおわって席に向かうと既に1つ斜め前の席にが座っていた。

『お前ら、席替えまで見せつけんなよなー!』
『そうだ、そうだ!』
『まじで羨ましい!』

付き合っているのが既にばれている二人をからかうクラスメイトに、響也はうるせぇと照れながら怒って席に着いた。
斜め前の席にいたは振り向いてそんな俺をみて笑っている。

『なんだよ?俺だけじゃなくて、お前だってからかわれてんだぞ』
『そうだけど、でも、付き合ってるんだし仕方ないんじゃないかな。もう慣れちゃった。』
『お前のハートは強ぇな…』

俺がはぁっと大きなため息をつくと、はまた嬉しそうに笑う。

『そんなことより、響也とめずらしく席が近くで、すごく嬉しいなぁと思って』
『なっ…!?』
『え?』
『…お前そういうこと突然言うなっていってんのに』

そういって笑った彼女があまりにも可愛いから、
俺の顔は一気に赤くなって、それを隠すように机の上に額を付けた。



あの席替えした時と変わらない目の前の情景。

窓から見えるのは澄み切って綺麗な青空。
差し込む暖かい光によっての髪の毛は反射してキラキラ輝いて。
そして、いつものように退屈に進んでいく音楽史の授業に、苦手な科目のため時々欠伸をしては眠たそうにしている

その姿にひき込まれるように、いつものようにふっと顔を緩ませてを起こそうと、小さな消しゴムを手に取って投げようとするも寸前でその手を止めた。

(...何やってんだ、俺は)

響也は握っていた消しゴムを机の上に置いた。
から目を逸らし、空っぽになった手を膝の上にのせて力強く握りしめた。

そして、相も変わらずまた時間は進んでいく。

は俺の気持ちなんて知らないように、休み時間は仲のいい友人達と笑いあって。

嬉しそうに笑う顔。
誰かを心配そうに気遣う優しさ。
宿題を忘れたりと、どこか抜けているところ。

ころころ変わる表情や仕草、どれをとっても彼女は自分が大好きだった彼女のままだった。

ただひとつだけ違うのは、彼女の中に自分がいないだけ。

この世界は間違いなく彼女と共に進んでいるのだ。
自分だけを置いてきぼりにしたまま。




全ての授業が終わるチャイムがなり、放課後になった。
響也は逃げるようにヴァイオリンケースを抱えて、急いで練習室に向かう。
練習室に入りヴァイオリンを演奏する準備をすると、講師の小倉が入ってきて目の前の椅子に座った。

「ちゃんと練習してきたんだろうな?」
「…うす」

ジルベスタ―コンサート前に応募したコンクール。
数回の選考がありながらも、響也は最終選考までたどり着いていた。
その最終選考は約1か月後の3月に行われる。
厳しい小倉のレッスンに耐えながらも確実に成長している響也だったが、今日はいつもと様子が違っていた。

手慣らしのために練習曲を弾く。
すると曲の途中で、小倉は眉間にしわを寄せたまま大きなため息をついた。

「…やめだ、やめ。その程度の音しかだせねぇようだったら時間の無駄だ。さっさと帰れ」

厳しい一言を突きつけられて、響也は演奏していた手を止めた。
いつもなら毒舌を言われても反論し、何度も食らいついて弾きなおしていたが今日は何も言えないまま唇をかみしめている。
自分の音がひどいのは、本人が一番よくわかっていたからだ。

響也の様子を見て小倉は再度大きなため息をついた。

(まぁ、こいつの幼なじみのことを考えたら、こうなることが必然か…)

小倉は講師のため、の事故や記憶喪失の件は共有されていた。
今までの練習でどんなに毒舌をはいても、負けてたまるかと逃げずに真っ向から課題に取り組み成長していた如月響也。
こういう生徒は嫌いではなく、むしろ可愛がっている生徒の1人だったが、この手の対応は苦手だった。

『こういう時って、周りは見守ってあげるしかないんだよねぇ…多分』

昼に須永が言っていたのを思い出し響也の方をみる。
無言のままヴァイオリンをしまい、背中からも悲痛な胸の内が伝わってくるようだった。

(…確かに、何も言えねぇわ)

練習室は沈黙に包まれたまま、響也は小倉に軽く会釈をしてそのまま練習室を出て行った。
小倉は一人になった練習室で椅子にもたれかかり、小さく息を吐いて天井を仰いだ。




















響也は練習室を後にし、何もする気が起きずそのまま菩提樹寮へ戻ろうと廊下を歩いていた。
音楽室の隣にある準備室を通りがかると、聞きなれたヴァイオリンの音色が聞こえてきて、その部屋の前で足を止める。

「…

ドアについている小さな窓から中を覗くと、が一人ヴァイオリンの練習をしていた。
技術や表現力は幼いころと比べればはるかに上達しているものの、彼女の音は幼いころから聞いてきたヴァイオリンの音色のまま。
その音は暖かくてキラキラと輝いて、俺が世界で一番綺麗だと思う音だった。


ドアの向こうではが熱心にヴァイオリンを演奏している。
そのヴァイオリンの音色を聞くだけで今は胸が苦しくなって、ドアに手を触れたまま立ち尽くしていた。
すると、人の気配を感じたのか、はヴァイオリンを演奏する手を止めてドアに近づいてくる。

「須永先生?」

ドアを恐る恐る開くと、そこには酷く辛そうな顔をした響也がいて、は雷に打たれたように目を大きく開く。

「響也くん…?」
「…っ」

誰よりも小さい頃から近くにいたのに。
やっと想いが通じ合えたのに。

もう彼女の中に俺はいない。

「大丈夫…?何かあった?」

が心配そうに手を伸ばすも響也はその手を振り払うように後ずさりした。

「...っ」
「...どうしたらいいかわからねーんだ......この先お前なしで...」

ーーーどうやって生きていけばいい?

言いかけた言葉を飲み込んで、響也はいてもたってもいられなくなりその場を後にした。

抑えてきた涙は止めどなく溢れ、悲しみを取り除く術がわからなくて。

ただ、がむしゃらに走った。



















走っても 走っても
この世界は自分だけを取り残してどんどん前へ進んでいく

どんなに全速力で走っても追いつけない時計の針に
もがけばもがくほど 心を蝕んでいく鈍い痛み



いっそのこと 君も世界も全てが変わって
君を嫌いになれたら良かった








記憶喪失後の1日の響也サイドのお話でした。
主人公の記憶の中に自分がいないだけで、周りも何も変わらないように進んでいく状況。
苦悩する響也と、またそんな響也に後ろめたさを感じて戸惑う彼女。
この先どうやって響也が行動するか、彼女もどう行動するかは次回以降に続きます。
もうしばらくおつきあい頂ければ幸いです。
なるべく更新はペースよく続けられるようがんばります…!(2016/8/28)