さよならの後に  4話 幸福論








12月30日 Side

その日はまるでの心を表すかのようなどんよりとした曇り空で、
いつ雪がふってもおかしくないような天気だった。

そんな天気の中、明日に控えたジルベスタ―コンサートのリハーサルを行うため
オーケストラやスタッフ、そしてかつて同じ場所で開催されたジルベスタ―コンサートで演奏した仲間たちが
横浜アリーナに集結していた。

はそのメンバーの前に立ち、1つずつ丁寧に明日の段取りや演奏曲の演出や曲などを確認していく。

今は世界的なヴァイオリニストとなった冥加、ピアニストの天宮とチェリスト七海のアンサンブル。
神戸港にオペラハウスを建築し、そこを拠点としてクラシックを広く普及する活動を行っているデュアルエンジンのデュオ。
そして、ヴァイオリニストとなって冥加と同様に世界を股にかける響也のソロ演奏など様々な曲目が用意されている。

客席に囲まれるように横浜アリーナの中心に配置されたステージで、一通り以外が演奏するものを確認し終わると
はヴァイオリンを手にしてステージに上がる。

待っていましたといわんばかりにかつての仲間たちが微笑んだ。
と一緒に演奏する奏者が順番にステージに上がって音を合わせていく。

「おい、待ちくたびれたぜ地味子。俺を待たせるなんていい度胸してやがる」
「千秋、もう地味子ちゃんやないやろ。ついこの間オペラハウスに来てくれた時は薔薇の花のように、キラキラしとるって自分いうてたやん」
「蓬生!…ちっ、さっさとやるぞ」

東金と土岐とヴァイオリン三重奏を。

「貴様がどこまでヴァイオリニストとして成長したか見ものだな。せいぜい足を引っ張らないようにしろ」
「ふふ、冥加はこんなこと言ってるけど彼も僕も君のCD全部持ってるぐらいファンなんだよね」
「お、俺も持ってます!!さんのCD全部!」
「…くっ!」

高校の全国大会で最強のライバルだった天音学園メンバとのアンサンブル。

「はぁ、またお前とデュオか」
「またって何よ、またって!色気のあるお姉さんじゃなくて悪かったですね!」

そして、最後に息の合った響也と無伴奏でのヴァイオリンのデュオ。

演奏曲の確認が全て終わり、リハーサルは無事に終わった。

はスタッフやオーケストラなど様々なメンバーに挨拶を済ませて会場を後にする。
横浜アリーナのスタッフ通用口を抜けると、冷たい風がの頬を突き刺した。
身を震わせながら、小さなため息をついて駅の方へ向かおうとすると、
道の端で響也がヴァイオリンケースを抱えたまま立っているのに気づく。

「…あれ、響也。まだ帰ってなかったの?」

ぽかんと驚いた表情をするに、響也は眉をしかめて強引にの手をとって歩き出した。

「ちょ、ちょっと…響也?!」

無言のまま足早に歩く響也に力強く引っ張られて、成す術がないはその後を必死についていく。
しばらく進んだ先で、右手にあった細い路地を曲がって突然握られていた手が離された。

体が自由になったものの、目の前で立ち尽くしている響也に見つめられて
はその場から身動きがとれずにいた。
しばらくの間沈黙が2人を包み込んでいたが、その沈黙を先に破ったのは響也だった。

「…なぁ、大地と何があったんだ?」
「え?」
「何で今にも泣きそうな顔してんだよ」

泣きはらした目は、昨晩の間に必死に冷やして腫れをひかせて、化粧でどうにかばれないようにしたはずだった。
今日だっていつも通りを心掛けていたし、演奏だって問題なくて誰にもばれていないはずだったのに。

(なんで響也にはわかるんだろう…)

幼馴染の鋭い勘には心臓がきゅっとなって一瞬切ない表情を浮かべるも、すぐに微笑んだ。

「もー、何言ってんの!全然泣きそうなんかじゃないよ!…ほら、元気でしょ?」

目の前で必死に強がって笑うに、響也は今にも胸が張り裂けそうになって、咄嗟に彼女を力強く抱き寄せた。

「響也…?」

突然響也に抱きしめられたは驚いて離れようとするが、腕の力が強くて離れることができず、結局大人しく身を委ねた。
彼の首元では、ビルの隙間から見える空をじっと眺めていた。

ーーー辛いなら、何も言わなくてもいい

抱きしめている響也が、そういってくれている気がして。
小さい時からずっと辛いときには傍にいてくれる幼馴染の優しさに、は涙が溢れそうになるのをぐっとこらえた。
ここで泣いて響也に甘えてしまったら、昨日の決断が間違いだったと後悔してしまう気がしたから。

は、心を落ち着かせるように大きく深呼吸してゆっくりと目を開いた。

「…響也、ありがとう。私大丈夫だから」

ーーー私は大丈夫

その言葉に響也の胸は痛んだ。
彼女の痛みや苦しみを、自分の手では解決できないと突きつけられた現実。

抱きしめていた腕の力を緩めると、はゆっくりとその腕から離れて大通りの方へ向かって歩き始めた。
そして数歩歩くと響也の方を振り返って微笑んだ。

「…私ね、昨日大地さんと別れたの。自分が好きだったらそれでいいって一回は思ったんだけどね。…でもやっぱり、私の願いは大地さんが元気に幸せに暮らしていけるのが一番なんだ」
「…
「私じゃ、彼の傍でずっと支えられないし、負担になっちゃうだけだから…」

そういって、また背を向けて大通りに向かって歩き出す
伝えたい想いは言葉にできないまま白い息となって消えていく。

自分では与えることができない彼女の幸せ。

唇をかみしめ拳をぎゅっと握りしめて、歯がゆい気持ちを抑えた。
そして、ただ彼女の苦しみが早く消えていくことを願って、小さな背中を追いかけた。







































*****


菩提樹寮の塔で、何度も納得がいかない部分を練習していると、ドアのノックが聞こえる。
ヴィオラを弾いていた手を止めて振り返ると、そこにいたのはマグカップを持っただった。

『ああ…ちゃん。お邪魔してるよ』
『大地先輩、お疲れ様です。もしよければ少し休憩しませんか?』

そういっては大地に作りたてのコンソメスープを差し出した。
まさかの来客と差し入れに大地は顔を緩ませて喜んだ。

『え…差し入れを作ってきてくれたのかい?どうもありがとう』

マグカップを受け取ってベンチに座ると、もその隣に座った。
手渡された差し入れを食べていると、は心配そうな顔で大地の顔を見つめていた。

『ふふ、心配そうな顔だね。俺がこんなに必死になってるのは珍しいかい?』

心配する彼女をなだめるように、大丈夫だと伝えると彼女は優しく微笑んだ。

夏の全国大会が終わり、ヴィオラをもう人前で演奏することはないと思っていた。
しかし、秋になって合奏団を結成した彼女に誘われて、アンサンブルを組むことになる。

受験生の自分を合奏団に誘ってきただけでも驚きだったけれど、
受験を言い訳にして手を抜く可能性のある自分をアンサンブルメンバに何度も入れてくることにさらに驚いていた。

『大地先輩に限って手を抜くなんてありえないです』

そういって笑って断言する彼女に俺はドキッとした。
その頃からだったか、彼女のことをもっと知りたいと思うようになったのは。

誰にも見せなかった努力も、彼女になら知られてもいいと思った。
彼女が俺のことを見てくれているだけで、何でも頑張れるような気がした。

彼女の一番の存在になりたいと、いつしか心を全て奪われていた。

『君にはよく思われたい。君が好きだからね』

は一瞬驚いて、困った顔をする。
誰にでも言っているんだろうと信じてもらえていないようだった。

『ふふっ、困った顔だ。信じられないかい?残念だな。前はもっと真っ赤になってくれたりしたのに』

ーーー好きだ

この言葉は後にも先にも君にしか言ったことがない。
どうしたら君に信じてもらえるんだろう。

『好き、可愛いって、何度も言いすぎたかな。今は信じてもらえなくても仕方ない。
その分、これからも何度も言うよ。君が好きだって。俺にとってのこの「好き」は特別な意味なんだから』






















12月30日 Side 大地


懐かしい夢の中から現実に引きもどされるように目がさめた。
ゆっくりと瞼を開くと、カーテンの隙間から部屋の中に光が差し込んでいて朝だということがわかる。
寝る前までの記憶が曖昧で、思い出そうと記憶を辿るようにゆっくりとベッドから起き上がる。

(体調が悪くなって、岡田にタクシーで送ってもらって...それから、そのまま眠ってしまったのか...)

熱は下がったようで、体は軽くなっていた。
人の気配を感じないため、リビングに行き部屋の中を見渡す。
昨夜がくると言っていたが、もしかしたらそのまま帰ってしまったのかもしれないと不安に思い、携帯を取り出そうと鞄に手を伸ばした時だった。
ふと目に入ってきたのは、リビングのテーブルの上に置いてあった書置き。

「…っ!」

その手紙は彼女が書いたもので、内容は別れの言葉と今までの感謝の気持ちが綴られていた。
俺はすぐに携帯を取り出して彼女に電話をかけるも、つながらなくて胸がぎゅっと締め付けられた。

「…ちゃん」

時折思いつめたような切ない表情を見せる彼女を知っていたからだろうか。
いつかこんな日がくるかもしれないと、心のどこかで思っていて、
こんな状況でもやけに落ち着いている自分がいることに自嘲する。

その場から動くことができないまま、部屋の一角に飾られている写真が目に入った。

ジルベスタ―コンサートの後に二人でとった写真。
二人とも幸せそうに笑っている。

『その分、これからも何度も言うよ。君が好きだって』

彼女に伝えた言葉が頭の中によぎった。

いつから俺は彼女に、言葉を伝えられなくなっていたのだろうか。

彼女が特別になりすぎて。
失うことが怖くて。
いつの間にか臆病になっていて、本当の気持ちを伝えることができなくなっていた。

ーーーーージリジリジリジリッ…

寝室に置かれていた目覚まし時計が鳴り響き、無情にも出勤の時間を突きつけられる。
どうしたらいいかわからないまま、俺は手紙を鞄の中に入れると、いつものように支度をして病院へ向かった。





























「榊君、体調はもう大丈夫?」

休憩中に病院の屋上で缶コーヒーを飲みながら空を見上げていると後ろから声をかけられる。
ゆっくりと近づいてきたのは岡田だった。

「あぁ、岡田。昨日はありがとう」

彼女に向かってお礼をいうと、大地はまた空を見上げた。
その切なそうな横顔をみた岡田は小さなため息をつく。

「榊君」

名前を呼ばれ大地は再度彼女の方を向く。
すると、岡田はいつもとは違って真剣な表情で俺を見つめていた。
その顔は高校3年生の秋、彼女から告白されたときの表情と同じだった。

「…私、榊君のことが好きなの。私じゃダメかな?」

そういって彼女は俺の腕をつかむ。

「榊君は医者で、彼女はヴァイオリニスト。…絶対、彼女じゃ榊君は幸せになれないと思う」

ーーー幸せになんかなれない

岡田のその言葉に俺は苦笑した。
今まで複雑に見えていた問題が、意外にもシンプルで簡単に解けてしまったからだ。

歳を重ねるにつれて臆病になって、ちゃんの気持ちが聞けなくて、わからなくなって。
彼女は今幸せなのか、ただそればかりを考えていた。

でも彼女の幸せは彼女自身が決めることで、俺にはわかりっこない。
なら、一番確かなことはなにか。
それは自分が幸せかどうか、だ。

そして、俺自身が幸せになるためには間違いなく彼女が必要で。
例え傍にいれない時間が長くても、彼女を想うだけで幸せになれる。

「榊君…?」
「あぁ、そうか…」

岡田は大地の表情を見て胸が苦しくなった。
昔告白した時と同じで一点の曇りもないきれいな目をしていたから。

「ごめん。俺が幸せになるには、彼女じゃないと駄目なんだ」

曇り空の下、対照的な彼の優しい表情に岡田はまた小さなため息をついた。

「岡田。今まで俺を思ってくれてありがとう」

高校3年に告白して断られたあの日から、受験との両立が理由ではないと、なんとなくわかっていた。
彼をずっと追いかけて見てきたからわかる。
彼の瞳には彼女しか映っていないことを。
その事実を認めたくなくて目を背けていただけ。

「…ホント、私を2回も振ったこと後悔するからね!」

思いは届かなかった彼女の顔は、切なさよりもどこかすっきりとした表情に変わっていた。
岡田は舌を出して、大地に背を向けると屋上を後にする。
大地は去っていく背中を最後まで見つめていた。

「…ありがとう」

そう大地は小さな声でつぶやくと、大きく息をすって何かを決意したように空を見上げた。

























「榊先生、どうしても先生に話があるって男性が、ロビーにいらしてます」

そろそろ仕事を切り上げて帰ろうとしていた時に、看護師に声をかけられる。
入院中の患者の家族かもしれないと、大地はあわててロビーに向かった。

するとそこには病院に絶対に来ないであろう人物が立っていて、大地は目を丸くする。

「響也。お前何してるんだ?」

声をかけられた響也は、いつにも増してむすっとした表情だった。

「…ちょっと話がある」

その表情から、大地は何の話か大方予想がついて、響也をつれて誰もいない病院の屋上へと向かった。
今にも雪が降り始めそうな空で、凍てつく寒さが2人を包み込んだ。
しんと静まり返った中、響也は射るような眼差しを大地に向けて口を開く。

「さっき、からお前らが別れたっていう話を聞いて、確かめに来た」

響也の言葉に俺は小さなため息をついて答える。

「…あぁ、ちゃんから別れたいって告げられたのは事実だ」

大地を真っ直ぐに見つめながら、響也は顔を横に振った。

「いや、別れたのが事実かどうかを確かめにきたんじゃねぇよ」
「…え?」
「大地がそれでいいのかを確認しにきたんだ」

昔から響也も幼馴染の彼女に特別な感情を抱いているのは知っていた。
それなのに、この状況で彼が俺の元を訪れているのは、彼の優しさからくるものなんだろう。

一緒にオケ部で全国大会で優勝したあの日から10年。
高校生活を通して先輩後輩の信頼関係、そして今でもたまに会って仕事の近況報告をするような友人という関係を続けてこれたのは
お互いを認めているからこそできることだった。
響也にとっては大事な存在だったが、大地もまた大事な友人であることに変わりなかった。

「響也、わざわざ来てくれてありがとう」

一言お礼を言うと、響也は眉間にしわを寄せて、辺りはぴりっとした空気に包まれた。

「…俺はちゃんに振られた立場の人間だけど、彼女を簡単に手放す気は全くないよ」

大地の迷いのないへの強い思いを聞くと、響也は突然吹き出して笑った。
ぴんと張りつめていた空気が消える。

「…あー、心配して損した」

そういってポケットに手を突っ込んで大地に紙切れを差し出した。

「これ、やるよ」
「え?」

手渡された紙切れは、明日横浜アリーナで行われるジルベスタ―コンサートのチケットだった。

「あいつ明日のジルベスタ―コンサートに大地がこれたらいいなーって、先月の同窓会からずっとそわそわしてたからさ」
「…響也」
「ま、素直じゃねぇあいつの気持ちは、昔からヴァイオリンの音に全部のってくるだろ?だから大地がちゃんと聞かねぇと意味がねぇと思う」

響也はにっと笑って、大地に背を向けて歩き始めた。

「じゃ、そーいうことだから。…あ、あと俺のかっこいい姿もしっかり見ろよな」

そういって手を振りながら屋上を後にする響也に、俺は心の中で感謝しながらそっと目を閉じた。























君の幸せは見えない
だけど、仮に僕の幸せの線を引いたとして
その先に、君の幸せの線もどこかで重なって、いつか一つの点ができればいいと思う







文字数が増えて、なかなかまとまらずにアップが遅れてごめんなさい…。

しかも最初のプロット時は結構どろどろとした昼ドラみたいな感じだったんですけど
これじゃない!と思っていろいろ書き換えたりして遅くなってしまいました。

響也→主人公の要素もありどう展開するか非常に悩みました(汗)
4の響也から想像するに自分の思いに真っ直ぐにただ突き進むっていうイメージじゃなくて、
大地とか友人とか周りのことも大切に考えているんじゃないかと。
実は最初は、大地と二人で話す部分も、俺があいつを幸せにするんだ!って大地の胸ぐら掴んでとか考えてたんですけど、
結局大人になった響也は、大切な二人の間で、自分の想いに蓋をしたまま
仲を取り持ってくれちゃうんじゃないかって、こんな感じになりました。

次のお話で最後になります!今しばらくお待ちいただければ幸いです。
どうにか今月中にはという意気込みでいます。

そして、この長編について「楽しみにしています」など拍手やメールフォームからコメントを何件もいただいて
心待ちにしてくださっている方がいてとても嬉しかったです。
そのおかげでどうにか4話目を書ききることができました^^
残り最終話がんばります(2016/07/15)