さよならの後に  3話 さようなら







『…ちゃん、もし良かったらここで一緒に住まない?』

その言葉を聞いた時の私は嬉しくて、幸せで。
未来のことは何も考えていなかった。










大学を卒業して、駆け出しのヴァイオリニストとして活動していた時だった。

高校から仲のいい夏希と大学を卒業して以来の久しぶりの再会。
2人はカフェでお互いの近況報告をし、早速は大地から同棲話をもちかけられたことを話す。
するとそれを聞いた夏希はまるで自分のことのように喜んだ。

「同棲?おめでとう!これで結婚も近いんじゃない?羨まし〜!」

高校2年の大晦日に開催されたジルベスタ―コンサート後に大地と付き合ってから
は何度も夏希に相談をしては励まされてきた。
大学も同じ学科に進んだ2人は高校の時以上に仲が良くなり、にとってはニアと同じ大切な親友の一人だった。

「でも、大地先輩医者なんでしょ?はどうするの?」
「え?どうするって…?」

突然の言葉には驚いた表情をしていると、夏希は困った顔をして話を続ける。

「だって、医者ってなったら超多忙なんでしょ?だってせっかく夢叶えてヴァイオリニストになって、
今じゃ日本だけじゃなくて世界中飛び回ってるし…もし同棲したとしても、ほとんど一緒にいれないんじゃないの?」
「…それは」

大地が高校を卒業して大学に入ってからというもの、医学部の彼と会う回数は年を追うごとに減っていった。
そして二人がお互いの夢を叶えた今、一緒にいれる時間はもっと減っていくだろう。

は不安になって言葉を詰まらせる。
その様子をみて、夏希はいつになく真剣な表情をしての手を握った。

「もちろん、私はが選んだ道は応援する。だって、親友には幸せになって欲しいし!
でも、大事なことだしよく考えた方がいいかもよ?…なんか暗い話になっちゃってごめんね?」

大丈夫。

そう笑って答えたかったけれど、結局言えないまま夏希と別れ1人家路につく。
夕暮れに染まった帰り道、改めて自分と大地では住む世界が違うのだと実感し大きなため息をついた。

ご飯を作ったり、掃除洗濯などの家事をして彼のサポートをしたいけれど、それも毎日できるわけでもない。
海外の公演があれば、数週間何もできない日があるだろう。
現に公演前には練習やリハーサルなどで、ほぼ毎日外出していることがほとんどで。
そうなれば、一緒に住むことの方が彼の負担になってしまうのではないか。

同棲について悩みながら歩いている時だった。
公園の前に差し掛かると、見覚えのある女性が公園の入口に立っていることに気づく。

「…さん、お久しぶり」

喋りかけてきた人物は、星奏学院高等学校音楽科で1学年上だった岡田。
目の前に立つ彼女は、高校の時と変わらない容姿で、清楚できれいなまま。

「……少しだけ話をしたいんだけど、今時間いいかな?」

その言葉に促されるまま、は彼女の後について公園の中に入り、二人はベンチに座った。
しばらく沈黙が続いたものの、その沈黙を先に破ったのは岡田の方だった。

「もう知ってるかと思うけど…私、看護師になったの」

が高校3年生になったとき、
音楽科の進路ではかなり特殊だったため、話題になったのを覚えている。
そして、それが何を意味しているのかも一緒に噂になって校内で広がっていた。

「…高校三年の時に榊君に告白して一度振られてから、彼にふさわしい女になろうって思った。
音楽の道じゃなくて、彼を支える道に進もうって」

医学部に進む普通科の榊。
告白して振られた岡田が選んだのは、彼を支える道で。

は何も言えないまま、岡田の横顔を見つめている。
その凛とした横顔は夕焼け色に染まってとてもきれいだった。

「私はあなたより榊君を幸せにできる自信があるの。…いいたかったことはそれだけ」

岡田はベンチから立ち上がりの方を一度振り向いて微笑んだ後、すぐに背中を向けて歩き出した。
は小さくなっていく背中を目で追うことしかできず、ベンチに座ったまま唇をかみしめる。

『私はあなたより榊君を幸せにできる自信があるの』

その言葉は正論すぎて、胸が締め付けられていく。
そして、暗くなっていく空を一人涙をこらえて見上げていた。










あの頃から感じていた思い。
私は気づかないようにその思いから背を向けて逃げてきて。
ずっと彼の優しさに甘えていたんだ。





























***






律やハル達との同窓会の後、時は過ぎ12月に入った。
大地は相変わらず忙しい日々が続き、
もまた、年末に向けていくつかコンサートが入り会えない日が続いていた。

そんなある日の昼下がり、大地は病院の屋上でコーヒーを飲んで休憩していると、
突然ポケットにしまっていた携帯電話の通知音が聞こえる。
携帯を取り出して画面を確認すると、からのメッセージが届いていた。

『大地さん、お疲れ様です!まだ少し先ですが誕生日は空いてますか?
ぜひお祝いをしたいので、その日夕方からお家にお邪魔してもいいですか?』

(こんな時間に彼女からなんて、珍しいな)

彼女からの連絡は昼間はなるべく大地の仕事の邪魔にならないようにと避けられていて、メッセージのやりとりは朝や夜がほとんどだった。
そのため、大地は嬉しくなって顔を緩ませる。

『ありがとう!もちろん、ちゃんのためなら空けておくよ。
クリスマスはお互い仕事で会えないけれど、その日にクリスマスも一緒にお祝いしよう。』

メッセージを送って、何かを思いついた大地はすぐさま立ち上がり屋上を後にした。





















「榊君。12月の勤務表のスケジュールがやけにタイトすぎじゃない?」

岡田は廊下の自販機の前に立っている大地を見つけると、近づいて話しかけた。
自販機で購入したコーヒーをしゃがんで取り出していた大地は、彼女に気づくといつもよりも嬉しそうに笑っていた。

「実は、どうしても休みを取りたい日があってね。勤務日程をいくつか皆と交代してもらったんだ」

その言葉を聞いて岡田は複雑な表情になってため息をつく。

「そろそろ論文も書く必要があるのに、このままだと緊急の呼び出しとか入って体壊すんじゃない?」
「はは、相変わらず岡田は厳しいな」

看護師として働く彼女と同じ病院に勤務して約4年。
彼女は先にこの病院で働いていて、俺は研修医として病院で再会した。
同じ高校を卒業したということもあって、2人はこうやってほぼ毎日のように話をしていた。

「ご心配ありがとう。どうにかうまくやるさ」
「…榊君」
「ん?」
「ううん、なんでもない。それじゃ、また!」

岡田は大地に何かを言いかけるも、言葉を飲み込んでその場を立ち去った。
その様子をみて一瞬不思議に思うも、大地は気にせずに医局に戻っていった。

































そして迎えた12月29日の朝。
大地は前々日から緊急の呼び出しが入るなどして、家に全く帰れないままぶっ通しで働いていた。
明け方やっと全てが終わって解放され、大地はおぼつかない足取りで医局の自席に戻る。

「ふう……家に帰って少し寝よう」

体調があまり良くないのが自分でもわかる。
それでも、と久しぶりに会えるという喜びから、気力を振り絞って立ち上がった。

「…っ」

しかしその瞬間、視界が傾いてバランスを崩してしまう。
どうにか片手をデスクについて倒れないですんだものの、頭痛も感じて体調はますます悪化しているように思えた。

「榊君!」

タイミングよく医局に入ってきた岡田が、大地の様子を見て慌てて駆け寄ってくる。

「大丈夫!?」
「あぁ、大丈夫。ちょっと熱があるみたいだ」

岡田は榊のおでこに手を当てて熱を測った。
手から感じられる高い体温に、岡田は眉間にしわを寄せる。

「…全然大丈夫じゃないよ!タクシー呼ぶからそこに座ってて。私も終わったから送ってくね」

岡田は大地を椅子に座らせ、携帯を取り出してタクシーを呼ぶ。
大地は熱のせいで意識がもうろうとする中、彼女に寄り添ってもらいどうにか自宅にたどり着くと
そのままベッドに倒れるようにして意識を失った。



































「大地さん、もう家にいるかな?」

時刻は夕方に差し掛かる頃、はプレゼントとケーキ、食材を持って足早に大地の家に向かっていた。
雪が今にも降り出しそうな天気で、息を吐く度に白くなっては空に消えていく。

(プレゼント気に入ってくれるといいな…)

今年はコインパースをプレゼントに選んだ。
コンサートやリハーサルの合間に、さまざまなお店に足を運んで探したものだ。
また、そのプレゼントと共にジルベスタ―コンサートのチケットも忍ばせた。

クリスマスを一緒に過ごせなかった分、久しぶりに会える喜びで足取りが早くなる。
そして、あっという間に大地の家の前にたどり着くと、鞄から合鍵を取り出して玄関のドアを開けた。

「あれ、空いてる?」

明け方まで仕事だと言っていたから、疲れていて閉め忘れたのかも知れない。
そんなことを思いながらドアを恐る恐る開けると、そこには女性ものの靴と大地の靴が置いてあった。

「?」

誰かお客さんが来ているのだろうか。

そっとリビングに入ると、寝室のベッドに横たわった大地と、そのベッドの脇に座っている女性が見えた。
は驚きのあまり荷物を落としてしまう。
その音での存在に気づいた女性が振り返る。

「…岡田さん…?」

ベッドの横に座っていたのは岡田で、彼女はの顔を見ると立ち上がっての前の前に向かってきた。
その表情には苛立ちが見える。

「…榊君、今日どうしても休みをとるって勤務表を変えてまで働いて…、無理しすぎて疲労で倒れたの」
「え?」

それを聞いては大地の顔をみると、大地は寝息を立てているものの苦しそうな表情をしていた。

「榊君は医者なの。あなたとは違っていつも大変で、すぐそばに誰かの支えが必要なのよ!」

声を荒げた岡田に、は何も言い返せないまま立ち尽くしている。
彼女は唇をかみしめながら、床に置いてあった自分の荷物を持って玄関の方へ歩き出す。

「…もうそろそろ解放してあげてよ。彼を」

そう言い残し、足早に家を出て行った。

ーーーーバタンッ

彼女がいなくなると部屋は急に静かになり、大地の寝息と時計の音だけが響いていた。
は大地に近づき、ベッドの横の椅子に音を立てないようにそっと座った。
彼の疲れが見える寝顔をみて、ふと10年前のことを思い出した。













『やぁ、。寒い冬だからこそ映画なんかどうだい?』

ニアに報道部の映画の特集記事を見せられた時だった。
ふと目に入った天才ヴァイオリニストの生涯が描かれた映画。
見てみたいと思っていると、ニアから上映期間が今日までと言われ、余計見に行きたくなった。

(もし行けるなら、誰かと一緒に行きたいなぁ…)

そして一番に思い浮かんだのは大地だった。

『誰かを誘うつもりなら急いだほうがいい』

ニアに急かされて、はすぐに携帯から大地へと電話をかける。

ちゃん?やぁ、どうしたんだい?』

大地は外にいるのか、電話の向こうから車の音や風の音が聞こえていた。

『………映画?今日までしかやってないのか…』

事情を説明すると大地は電話の向こうで少し考えたあと、すぐに快諾してくれた。
一度大地が家に帰るため、少し時間を置いてからみなとみらいの映画館で待ち合わせの約束をする。

(デート…みたい)

大地と一緒に映画に行けることがうれしくて、支度を急いで終えて足早に映画館に向かう。
すると映画館の入口では既に大地が待っていて、目が合うと手をあげてこっちだよと呼ぶ声が聞こえた。

いろいろと話をしながら二人は売店で飲み物を買って座席に着くと、はストローをもらっていないことに気づき慌てて取りに行く。
そして席に戻った時、大地は疲れていたのか腕を組んで寝息を立てていて。

『………ん………』

起こさないようにそっと近づいて顔をのぞきこむと
思いのほかかげりのある寝顔がみえて、は胸が締め付けられた。
大地を起こさないように座席に静かに座る。

『う………ん……』

わずかな振動が伝わったのか、大地はゆっくりと目を開けた。

『っ…ああ、おかえり。ちゃん。ごめん、ついうとうとしてた』

謝って苦笑する彼には何も言えなくて。

映画を観終わると二人は映画館に併設されたショッピングモールを歩きながら帰路につく。
大地と映画の感想を話している途中も、は受験勉強中で大変な大地を誘ってしまったことを酷く後悔していた。
そんなの様子に気づいたのか大地は苦笑する。

『失態だ、君とのデート中に寝入るなんてまったく不甲斐ない。
上映前のことは忘れてくれると嬉しいんだけど、どうかな?』

映画を見ているときもずっと気になっていたから、今さら気にしないでと言われてもどうすることもできなくて。

『…今日は受験勉強中に誘ってしまって本当にごめんなさい』

が謝ると大地は優しい笑顔を見せる。

『行くって決めたのは俺だよ。正直言うと迷ったけどね。自分の気持ちに素直になることにしたんだ。
無理くらいするさ…君とのデートなんだから。他の誘いとはわけが違うよ』

そういって頭を撫でてくれた大地の大きな手。





付き合ってからもずっとそうで。
いつだってどんな時も、私のためと彼は無理をしてくれていた。

その優しさに何度も甘えて、私はその優しさから離れられなくて。
涙が止めどなくあふれていき、視界がゆがんでいく。

好きで、好きで、大好きなのに。
大地を幸せにできるのは自分ではないのだと、
気づいていたのに私は気づかない振りをしていた。

「……っ」

嗚咽をこらえておこさないように、はそっと大地の手に自分の手を合わせる。

「…大地さん…ありがとう…」

小さな声でつぶやくと、は静かに立ち上がった。

たくさんの二人の思い出が頭の中で浮かび上がる。
離れたくないという思いがまるでツタのように足に絡まって、動けなくなりそうだった。
それでも、は涙をふいてそのツタを断ち切るように大地に背を向けて一歩踏み出す。

ソファの前にあった小さなテーブルに、
書置きを残して後ろを振り返らないように玄関に向かった。

振り返ってしまえば、また戻れなくなるそんな気がして。

「勝手で…ごめんなさい」

玄関のドアを開けると、冷たい空気がの体を包み込んだ。
音を立てないようにドアの鍵を閉めて、合鍵をそっと郵便受けに入れる。

の頭上からは雪が降り出し地面に触れては消えて、
溢れ出す涙も地面に落ちては、一緒に消えていく。
雪でしんと静まりかえった中、は初めて声を出して泣いた。



















医者の仕事など、いろいろと捏造ですいません。
いろいろ間違ってることもあると思いますが、そこはごめんなさい…。許していただければと思います。
あと2話で完結予定です。

コルダ4の映画イベントを見て、大地は多分どんな時も主人公を優先してくれるんだろうなーとか
多少無理してでもがんばってしまうんだろうなーとか思って、そこからこんな暗い長編を思いつくという…。

4話、5話ともにプロットはできているのですが、4話の展開を少しいじりたいなーと思いながら
悩んでおります。またアップできるようがんばります!(2016/6/28)



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