Please kiss me






それは東金と、2人が出会ってから2度目の夏のある日のこと。
全国学生音楽コンクールのヴァイオリンソロ部門のファイナルが行われるとあって、
横浜の会場には多くの学生や音楽関係者が駆けつけていた。

昨年は天音学園の冥加と神南高校の東金の一騎打ちで、二人の知名度から満席になった会場だったが、今年も昨年と同じぐらいの人数が会場に入っており、
客席に座った観客はコンクールの始まりをいまかいまかと楽しみにしていた。

そんな中、東金はコンクール会場の観客席の通路を急ぎ足で歩いていた。
その後ろから東金の足を制止するように土岐は声を出す。

「千秋…そんなに前の方に座るとかあかんて。ちょっとは彼女の気持ち考えな」

東金は足を止めて振り返ると、眉間にしわを寄せて不機嫌な顔をしていた。

「…なにいってるんだ蓬生。応援するにはあいつの傍に行くのが一番だろうが」

”あいつ”とは、星奏学院3年ののことである。
彼女と東金はジルベスタ―コンサートの後から付き合っており、2人は現在恋人同士。
東金から告白しただけあって、彼は彼女にかなり惚れている。
その深い愛情が、嫉妬や独占欲、そして周りが見えていないような突発的な行動に度々現れていた。

今回の行動もその一つで、東金はを応援するため観客席の一番前に座ろうとしている。

ただでさえ緊張する大舞台。
それなのに、目の前にさらにプレッシャーを与えかねない存在が目に入ってしまうことを考えると、
土岐も芹沢もに同情し、いたたまれなくなって阻止しようと奮闘しているのである。

「さすがのさんもステージに出てきて、すぐ目の前に部長がいたら驚いて集中できないと思いますよ」
「あいつはそんなにやわな女じゃない」

残念ながら芹沢の言葉も東金に届かず、土岐と芹沢は大きなため息をついた。
そのまままた歩き出そうとした東金をみて、土岐はやれやれといった表情で芹沢の方を向き、わざと東金に聞こえるように少し大きな声をだす。

「芹沢、残念やなぁ。前方の席に行くとちゃんが優勝したあと一番におめでとうって言えへんなぁ」

土岐の意図を汲み取り、芹沢は同じように大きな声で返答する。

「確かに残念ですね。後ろの方には大勢のさんファンがいますから。優勝したら一目散に彼女の元に向かっていくでしょうね」
「ほんまやねぇ、ここから見えるだけでも、如月弟君とか、至誠館のちゃんをみたらすぐ抱き着く犬みたいな奴もおるしなぁ。出遅れるなんて残念やわ」
「…っ」

2人の言葉が届いたのか、東金は足を止めてくるっと体の向きを変える。
そして、そのまま2人の横を通り過ぎ後方座席へと向かった。

土岐と芹沢は再度目を合わせて安心したように息をはくと、苦笑しながら彼の後を追い3人は会場の後方で席を見つけて座った。

「…そういえば、ちゃんと戦う天音学園の1年生は、コンクールでいくつも賞を取っとる強者らしいやん。アンサンブル部門でも芹沢達とこの前あたったときはファーストヴァイオリンやったし」

ファイナルのの対戦相手は昨年の冥加と同様、さまざまなコンクールで賞を取っておりかなり手ごわい相手。
それでも、肘かけに肘をつきながら、ステージをじっと見つめている東金は得意げな表情をしていた。

「それは楽しみだな。…あいつが演奏のうまい奴相手に、またどんな花を咲かせるか」
「ほんま、ちゃんはよう千秋についとっとるわ…」
「ん?何かいったか蓬生」
「いーや、別に」

土岐が小さく息を吐くと同時に、ファイナルの始まりを告げるアナウンスが流れる。
そして、先に演奏する天音学園の生徒がステージの中央に立った。

しんと静まり返る会場。

彼の演奏が始まると、会場からは感嘆の声がもれる。
難易度の高い曲をさらりと弾きこなす技術力に会場中が魅了された。

演奏が終わると溢れんばかりの拍手が会場を包み込む。

「高校1年生で、あそこまで弾けるってすごいねぇ!」
「すごい、うまーい!」

まるで、勝者が決まったかのような嫌な空気の中がステージに上がった。
するとすぐに静まり返る会場。

の1曲目は、モーツァルトの「ディヴェルティメントK.136〜第一楽章」。
明るくて快活な音楽に会場中がキラキラと輝きを放ち、温かい空気に包まれていく。

無事に演奏が終わると、会場が先程と同じように拍手で埋め尽くされた。

「あの子の音楽はいつ聞いても綺麗ね〜」
「ホント、温かみがあって素敵」

観客からの声からも、今のところどちらが勝ってもおかしくないような状況だった。
その中、続いて天音学園の2曲目の演奏がはじまる。
彼はさらに難易度の高い曲を弾きこなし、会場の空気が一気に天音学園へ向かった。

「この会場の空気を変えるのは結構難しそうやなぁ…、ちゃんは次何の曲弾くん?」
「さあな、ファイナルの曲は1曲目しか聞いてない」
「…へぇ、千秋が全部知らへんのは珍しいやん」

土岐が驚くのも無理はない。
昨年と同様に神南高校管弦楽部のメンバと共に、土岐と東金の二人は菩提樹寮に泊まり込んでいて、神南高校のアンサンブルの練習に付き合っていた。
東金の目的はそれだけではなく、との練習にも付き合っておりソロ部門の練習も見ていたからだ。

ふと、東金は昨日とソロ部門のファイナルに向けて最後の練習をした日のことを思い出す。

『そういえば、ファイナル2曲目の練習はいいのか?ファイナルは2曲演奏するんだろう?』

練習が終わりヴァイオリンを片づけていたは、手を止めて東金の方を向く。

『大丈夫です、ちゃんと練習はやってるので!』
『で、何の曲を演奏するんだ?』

その言葉に一瞬言葉を詰まらせるも、少し顔を赤らめながら笑った。

『…うっ、秘密です。ずっと前から練習していた曲があるのでそれを弾こうと思ってます。…ちゃんと聞いててくださいね』
『へぇ、秘密とは…そいつは楽しみだな』

東金はが本番どんな曲を演奏をするかのが楽しみでそれ以上は聞かなかった。
これからその答えがわかるとあって、東金はワクワクしてステージを見つめている。

そしてその2曲目の演奏のため、がステージの中央に立った。
また、静まり返る会場。

は一回観客席を見渡して、ふっと微笑むとそのままヴァイオリンを構えて演奏を始めた。

〜〜〜〜♪

「……っ!?」

聞こえてきた曲は、東金の代名詞ともいえるサン=サーンスの『死の舞踏』だった。

普段は1曲目のような快活な曲を弾くことが多い彼女のイメージを打ち壊す選曲。
先程演奏した彼女とは思えないと、会場は一瞬驚きに包まれるもすぐに観客は彼女の迫力のある演奏に魅了されていく。

1曲目よりも強いマエストロフィールドが観客の心を捉え聞いているものの胸を震わせ、
演奏が終わると誰もが言葉では言い表せない程の感動を感じ、中には涙を流すものまでいた。
会場は割れんばかりの拍手に包まれる。
東金もいつの間にか目頭が熱くなっていることに気づき、顔を緩ませて席を立った。

(…恋に死ぬなら本望、か。まさか、俺自身がその言葉を認める日がくるとはな)

ーーーー早く会いたい。

その衝動が抑えきれずに、彼女の元へ向かおうと席を離れると同時に優勝者が発表される。

「ーーー優勝は星奏学院3年、さんです!」

先程よりもさらに大きな拍手を背中に受けながら、東金は足早に観客席を後にした。































ステージ上で表彰式を終えて舞台袖へと戻る
すると、そこにいるはずのない東金が立っていて彼女をじっと見つめていた。

「えっ!?な、なんでここにいるんですか?観客席にいたんじゃ…」

があたふたと慌てているのをみて、ふっと顔を緩ませた東金は彼女の腕をつかみ自分の方へ引き寄せた。
腕の中にすっぽりと収まったは、顔を赤くさせながらも東金の腕の中で嬉しそうに笑う。

「...聞いてくれましたか?私の『死の舞踏』」
「あぁ、最高だった」
「去年の秋、神南の文化祭で芹沢くんたちが東金さんに向けて演奏していたのを聞いて、私も感謝を伝えるならこの曲だなって思ったんです。…それに去年同じ舞台で戦った東金さんの隣に並びたくてがんばりました」
「…あぁ、たくっ!」

こみ上げてくる思いを抑えられず、東金はを抱きしめる腕にさらに力を込めた。

「東金さん...?」
「…十分すぎるぐらい伝わった。よくがんばったな」

頭を優しくなでられ、は嬉しくなって東金の胸に顔をうずめた。

特徴のない地味な演奏をしていた私に、自分なりの花を見つけるヒントを教えてくれた昨年の夏のコンクール。
ジルべスターコンサートも、練習でサポートしてくれたり対バンをして自信をつけさせてくれたり、どんな時も支えてくれた東金に感謝の気持ちを届けたい。
そして、これからは彼の隣で自信をもって並んで歩けるヴァイオリニストになりたいと、そんな想いが曲には込められていて。

「合奏団のアンサンブルの時と同じ、こうやってヴァイオリンを自信を持って弾けるようになったのは東金さんのおかげです。本当にありがとうございます!」
「…っ、お前は可愛すぎるんだよ」
「…えっ?」

理性の抑えがきかなくなっている東金は、赤くなったの顎を掴んで顔を近づける。

「…可愛い俺のお姫様にお祝いをしないといけないな。何が欲しい?薔薇の花束でも、海外旅行でもなんでもいいぜ?」

ふっと笑った東金の吐息を感じて、の顔はさらに赤くなった。

お祝いに欲しいもの。
モノなんかじゃなくて、一番欲しいものは既に決まっている。

「...じゃあ、1度だけキスしてくれませんか?」
「!?」

予想外の答えに東金は顔を赤くして、目をぱちくりとさせる。

その様子を見て嬉しそうに笑うに、東金は完敗だと小さなため息をついた。
にしか見せない優しい表情をした彼の顔が、彼女にキスをしようと近づいた時だった。

「「あ、いた!」」

突然、遠くの方から聞こえてくる聞き覚えのある声。
新や響也、そして土岐や芹沢などにお祝いの声を届けようと合奏団のメンバが2人に向かってくる。

「あーーーー!!俺のちゃんが!!!」
「…ちっ」

大きな声を出す新に、いいところを邪魔されたと東金は舌打ちをすると
お祝いに駆け付けたメンバから顔を隠すように、傍にあった舞台幕を片手で引き寄せる。
すると舞台幕が近づいてくるメンバと二人の間に壁を作り、二人だけの小さな空間ができた。

「一度でいいのか?…ふっ、冗談だ」
「…んっ」

そのまますぐに口が重なって、東金は名残惜しそうにゆっくりと唇を離すとそのままの耳元でささやいた。

「この後俺だけのために空けとけよ?…1回だけじゃ全然足りないからな」
「!?」

舞台幕が元の位置に戻ると同時に、駆け寄ってきたメンバの前に2人が現れる。
そこには満足そうに笑う東金と、顔を真っ赤にしたがいて。

その姿をみて何があったのかはなんとなく想像がついたのか、
新や響也、そしてハル達が顔を赤くさせて怒りはじめる。
これから荒れそうな現場に芹沢と土岐はまた大きなため息をついたのだった。










ほかに、何もいらないから
どうか一度だけ、キスをしてください





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単発小説を書きたくて久しぶりに東金さんを書いてしまいました。
長編を書いている途中でしたが、甘い話が書きたくなってつい…
東金の想い√イベントで神南文化祭の話から連想して書きました。
超合金の理性なんて私が書く東金にはありません…orz
神南高校卒業しても、東金、土岐は次の夏の大会菩提樹寮に泊まってるんだろうなと…。
そんな土岐さんのお話も今度書きたいなぁなんて思ってます(2016/9/6)





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