涙ですら心ふるえる





星奏学院の卒業式まであと3日。
医学部の受験も終わり、無事に合格することができた俺は卒業までのカウントダウンを迎えていた。
年明けから受験まではかなり忙しくしていたものの、受験が終わってからは比較的ゆっくりと毎日を過ごしている。
気づけば放課後は音楽準備室で、彼女のヴァイオリンのレッスンが終わるのを待つのが日課になっていた。

1人本を読みながら準備室で過ごす時間は、穏やかであるとともに、彼女にもうすぐ会えると思うと幸せな時間で。
気づけばこの場所で、こうやって過ごすことは残りわずかなのだと感じると寂しく感じ、胸がきゅっと痛んだ。

ーーーーーーガチャッ

音楽準備室のドアが開く音がする。
その音がなる方へ顔を向けると、会いたいと思っていた彼女が息切れをしながら部屋に入ってきた。

「ごめんなさい!お待たせしました。ちょっと練習が長引いちゃって…」

髪が少し乱れ、うっすらと汗ばんだ額の彼女。
その様子をみて大地は思わずふっと笑った。

「…?」
「そんなに俺に会いたかったのかなと思うと、嬉しいなと思ってね」

大地が自分の顔をみて笑ったため、不思議に思ったは窓ガラスに映った自分の姿を見る。
すると、髪の毛が乱れているのがわかり、ここまで走ってきたことがバレバレで恥ずかしくなった。
顔を赤くしながら慌てて髪の毛を手で直す彼女をみて、大地は優しく微笑む。

「はは、ちゃんの顔が真っ赤になった」
「う…恥ずかしいんで見ないでください…」
ちゃんは、どんな顔してもかわいいね」
「…っ!!」

2人が付き合ってから、大地はに向かって好きだとか可愛いとストレートに、今まで以上に何度も言うようになった。

付き合う前は彼が言う甘い言葉は女子であれば誰にでも言っているような軽口だと思っていたためか、どんな言葉でも冷静に返すことができていたが、
今はその言葉が彼の本心なのだとわかってから、やけに恥ずかしくてくすぐったくて、恋愛経験の少ないにとっては毎回どうしても鼓動が高くなり顔を赤くしてしまう。

「はぁ…」

ジルベスタ―コンサートから付き合い始めて2か月以上がたっても、大地のストレートな表現に全く慣れず心臓をバクバクとさせている自分に大きなため息をついた。
そんなの気持ちを知ってか知らずか、大地はの頭を優しくなでた後彼女が持っていたヴァイオリンケースと鞄を優しく取り上げる。

「だ、大地先輩!それぐらい自分でもてますから…っ」
「まぁまぁ、これができるのも彼氏の特権だろう?ほら、ちゃんはこっち」

慌てて荷物を取り返そうとして伸ばしたの手を、大地は荷物を持っていない手でぎゅっと握りしめる。
手を繋いで帰ろうとしている大地があまりにも嬉しそうに微笑んでいたから、もつられて一緒に笑った。

「それじゃお言葉に甘えて、ありがとうございます。大地先輩」

そういって微笑む彼女の顔があまりにも可愛くて、衝動的に額にキスを落とす。

「っ!」

びっくりしてまた顔を赤くするをみて、性懲りもなく幸せを感じ彼女の手を取って歩き始めた。

















夕焼け色に染まった廊下を、練習内容やその日あったことなど些細なことを話しながら歩いていく。
いつもなら一緒に帰れてうれしいはずの下校の時間も、の胸は先程からずっと締め付けられて苦しかった。

(…こうやって2人で歩いて帰れる日も、もうちょっとなんだ…)

大地は海外に行ってしまうわけでもない。
大学にいっても変わらず菩提樹寮の傍に住んでいるし、いざとなったらいつでも会いに行ける距離だ。

それなのに、この校舎に彼がいないということが無性に寂しかった。

夏のコンクールやジルベスタ―コンサートに向けて一緒に練習した練習室。
お昼ご飯を食べた森の広場。
たわいない話をした屋上。

この校舎のいたるところに彼との思い出が溢れていて、その場所に一人でいることを想像するだけで怖くなる。
”大学”という高校生の自分には想像がつかない世界に彼が行ってしまうことが、とてつもなく不安だった。

そんな自分の弱さに情けないと思いながら、必死で零れ堕ちそうになる涙を堪える。

「ーーーーちゃん」
「…」
「…ちゃん?」
「わっ!」

大地は心ここにあらずといった状態のに優しく何度も呼びかけていた。
何度目かの問いかけで、はやっとその問いかけに気づきぱっと驚いて大地の顔をみる。

「…ご、ごめんなさい!」
「大丈夫、体調が悪いのかな?」
「い、いえ。そんなことないです!」
「そう?ならいいんだけど…ちゃんは無理し過ぎるところがあるから、ちゃんと言うんだよ?」

丁度そんな会話をした時、2人は保健室の前を通りがかった。
保健室という文字が目に入ると、大地はふとジルベスタ―コンサート前の12月の出来事を思い出す。









彼女のことをただの可愛い後輩ではなく、それ以上の感情を抱いていると既に自覚していたあの日。
たまたま保健室に先生から頼まれていた書類をもって寄ったときに、彼女が具合悪そうな表情でベッドの端に腰かけていた。

先生から聞くと、頭痛ということだった。
おそらくジルベスタ―コンサートを成功させようと日々努力している彼女だから、無理がたたったのだろう。
そんなことを思っていると、先生から思いもよらないお願いをされる。

『そうだ。私、ちょっと出なきゃ行けないから榊くんかわりについててあげてくれる?』
『えっ?』
『それじゃあ、よろしくね』

俺の返答を聞くこともなく、先生は保健室を出て行った。

『やれやれ気軽に任せてくれるなぁ...』

彼女と二人きりになって俺は小さなため息をつく。
好きな女性と保健室で二人きりのこの状況に、自分の鼓動が早まっているのがわかった。
具合が悪い彼女に対して不謹慎なことを考えている自分に呆れながら、不安そうにこちらを見ている彼女に声をかける。

『ほら、俺のことは気にせず横になって』

そういいながら、彼女が座っているベッドに近づき、彼女が横たわった後に布団をかけた。
ベッドに横たわった彼女はじっと俺を見上げていて、その瞳は頭痛のせいか潤んでいて。
いつも朗らかな表情を見せている彼女からは想像がつかないほどの艶やかさに俺は生唾を飲み込んだ。

(……本当に、困ったな)

俺はなるべく彼女のことを意識しないように、いつも通りの自分を演じることを心掛けようとする。

『心細いなら眠るまでそばにいようか』

軽口のようなこの言葉に、いつもの彼女なら”またそんなこと言って”と距離を取ろうとしてくるだろう。
そう思っていたのも束の間、彼女から出てきた言葉は想像とは違うものだった。

『…目が覚めるまで傍にいてくれませんか?』

不意をつかれた言葉に、俺は鼓動がさらに早くなるのがわかった。

『…今日はずいぶん甘えん坊だね。具合が悪いかもしれないけど君に甘えられるのは悪くない気分だ』

そして高まる鼓動と同時に、俺の胸はずきっと痛んだ。
本当は1人の男性として彼女に触れて、その先に進みたいなんてどろどろの欲望があるのに彼女は信用しきった顔で。
歯がゆさと、もどかしさに耐え切れずに思わず彼女に近づいた。

『でもね、ちゃん。…俺を信用し過ぎだよ』

ベッドに横たわった無防備な彼女の額に軽いキスを落とす。
彼女は一瞬驚いた表情をして、頭痛のせいか大人しくじっと俺を見つめて何か喋ろうと口を開いた時だった。

その先の言葉を聞くのが怖くて、俺は咄嗟に彼女から離れて微笑む。

『…俺はそんなに「いい先輩」じゃないよ。おやすみ、お大事に』

俺はちくりとする胸の痛みを抑えながら、そう言い残して保健室を後にした。









その出来事は、彼女への想いの大きさに再度気づかされるきっかけとなり、後のジルベスタ―コンサートでの告白につながって今に至る。
結果としては今付き合うことができているので結果オーライなのだが、打算的に動く自分がよくあの場面で大博打を打ったなと思う。

そんな懐かしい思い出に浸りながら、普通科と音楽科の彼女との接点は
音楽室周辺だけでなくて校舎のいたるところにあることがただ嬉しかった。

「この校舎には君との思い出で溢れているんだね」
「…っ」

なるべく彼との思い出を考えないようにしていたのに、大地の言葉が引き金となりの目から涙がこぼれ落ちた。
溢れている思い出は幸せなのに、そこに1人残される自分がひどく寂しくて。
遠くに行ってしまうわけでもないのに、手が届かなくなってしまうようなそんな気がした。

大地がこちらを振り返って涙に気づく前に、はこぼれた涙を咄嗟に拭いて繋いでいた手を離す。

「ご、ごめんなさい!準備室に忘れ物しちゃったので少し待っててください!」
ちゃん?」

顔を見られないようにすぐに大地に背中を向けて、もと来た道を駆け足で戻り音楽準備室の中に駆け込んだ。
誰もいない音楽準備室に一人。
涙は溢れて、止まってくれそうになかった。

「もー……変に思われたかな…」

まだ卒業式じゃない。
卒業しても傍にいる。

そうやって大丈夫だと、自分に何度も言い聞かせても
感情がうまく制御できないことに苛立ちを覚えながら、こぼれる涙を止める術を知らずただ手で受け止めていた。

その時、の背後から準備室のドアが開く音が聞こえる。
びくっと体をこわばらせ、涙をぬぐう間もなく突然背後から抱きしめられた。
ふわっと香る匂いで後ろを向かずともすぐに誰だかわかる。

「…あぁ、やっぱり。ここにいた」
「大地先輩…」

はぎゅっと背後から腕を回されて力強く抱きしめられていた。
泣いていることを知られたくなくてじっと動かずに大地の腕の中に収まっている。
そんな気持ちを察して大地は、小さなため息をついた。

「まったく、本当に君は―――」

その先の言葉を飲み込むように、大地はそのままを抱きしめる腕にさらに力をこめた。

彼女の涙の理由は聞かなくてもわかっているからだろうか。
大好きな人が泣いているにも関わらず、その涙ですら愛しさで心が震える。

『君の涙はみたくない』
『笑った顔の方がかわいいよ』

そんなありきたりな言葉を無理やり並べても、口にすることができないのは
その零れ落ちていく綺麗な色をした涙をずっと見ていたいと思うから。

「…あぁ、本当に。困ったな」
「…?」

保健室で彼女への気持ちの大きさに気づいた時よりも、
ジルベスタ―コンサートで彼女に告白してOKを貰ったときはもうこれ以上はないというぐらい彼女に対する思いは大きかった。
多分これが人を想う限界なのだろうと高をくくっていたが、実際はそんなことはなく、
彼女とたわいもない話をして笑い合う度に、一緒に下校する度、彼女のヴァイオリンを聞く度、
そして彼女に会えない夜ですらその想いはとどまることを知らずに大きくなっていく。

こんな感情は生まれて初めてだった。

今までそつなくなんでもこなしてきた自分ですら、彼女相手だとどうしていいかわからない時がある。
それは、今も同様で。

「君には早く泣き止んでもらいたいのに、…その涙ですら愛しくてずっと見ていたいと思うんだ」

矛盾している気持ち。
君にしか抱かない感情。

彼女の笑顔にも、怒った顔も、声も、涙にも。
俺は恋をしている。
だから、どんな君でもいい。

そんな思いを込めて、大地はの髪の毛に今までで一番優しいキスを落とした。

唇が触れた頭から体中に伝わっていく熱と、ドキドキと高鳴る鼓動に、
頬を伝う涙はいつの間にか止まっていて、は大地の腕をぎゅっと掴んで小さく笑う。

卒業しても、きっと2人の周りにはこれからも幸せはあふれている、そう思えて。
”大好き”という気持ちをこの触れている手から、大地に伝わるようにとさらに力をこめた。

「大地先輩は優しいですね」
「そう?これは、ちゃん限定だけどね」
「…じゃぁ、これからもずっと限定でいてくださいね?」

”これからもずっと”

その不意打ちの言葉に、大地の心臓は波を打つ。

そして、夕焼け色に染まった部屋で大地は2人の将来を思い浮かべて幸せそうに言うのだ。
ーーーー"もちろん"と。
















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落ちなし久しぶりの大地SSでした。
ただ、甘い小説が書きたかっただけです。

コルダ4の大地さんの想い√では怪我した主人公の足にキスしてましたけど、
想われ√の保健室でも最後ちゅって効果音なってますが、あれってキスですよね?

ただ主人公の反応が頭痛のせいか皆無だったので、さらっと過ぎましたが…。
誤解でしたらすいません。


いつも拍手やコメントなどありがとうございます^^
これからもよろしくお願いいたします(10/26/2016)



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