2度目の初恋 7話 未開封の勇気








は罪悪感を感じながら屋上のドアの前で1人立ち尽くしていた。

いくら友人に背中を押されたとはいえ、オケ部の練習中にもかかわらず
響也のことが気になり、告白現場である屋上に向かってしまうなんて。
こんな風に罪悪感を感じるぐらいであればさっさと引き返せば良かったのだが、ドアの向こうにいるであろう彼のことが気になって戻ることができずにいた。

もし、彼が後輩から告白されてOKしてしまったら。
その先のことを想像するだけで『嫌だ』という利己的な感情が心を支配する。

記憶を失い2人の関係が白紙となった今、告白の邪魔なんてできるわけがないのはわかっているのに。

(…ごめんなさい)

心の中で何度も謝罪を繰り返しながら、は屋上の扉のドアノブに手をかけた。
音を立てないようにゆっくりと重たいドアをひくと、
ドアの隙間からひんやりとした冷たい空気が一気に室内に流れ込み、緊張感が増して鼓動が一気に速くなる。

目の前に誰もいないことを確認してさらに奥を覗き込むと、少し離れた所に響也と誰かが向かい合っているのが見えた。
2人はこちらには気づいていないものの、さすがに距離が離れているためか何を話しているのかは聞こえない。
かといってこれ以上近づけば気づかれてしまうだろう。
前に進むことが難しいと感じたは、仕方なく練習場所に引き返そうとした、丁度その時だった。

『…なっ!』

突然響也の声が聞こえて、その声の方へと視線を向けると彼の背中に細い腕が回されているのが見える。
2人が抱き合っているのを確認すると、咄嗟に隠れるようにドアの陰に身を隠した。

『…っ』

屋上での光景が鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。
それでも零れそうになる涙をぐっとこらえ、心を落ち着かせるように何度か深呼吸をして落ち着きを取り戻し、
その場から離れようと階段を数段降りたところで、突然背後から声が聞こえた。

『え、お前どうしてここにーーー』
『あ…っ』

後ろに誰がいるのかは振り向かなくても声でわかる。
恐る恐るその声の方へ振り返ると、驚いた表情の響也がを見下ろしていた。

自分が何故ここにいるのかなんて、咄嗟に良い言い訳なんて思いつかず
彼の顔をみると先程までこらえていた涙があふれ出しそうになって、慌てて背を向けて階段を駆け下りた。

『ーーーって、おい!』

背中越しに聞こえる響也の声を振り切って、何事もなかったかのように平静を保ちながら練習に戻る。
それでも胸の痛みは消えてはくれなくて、ただ時間が過ぎるのを切に願った。









***








「はぁ…」

ため息をつくのは何度目になるだろう。
回数すら気にならないほど、頭の中は1時間前の屋上の出来事でいっぱいになっていた。

オケ部の練習が終わっても菩提樹寮に帰る気分にならず、森の広場で一人冷たいベンチに座ったまま空を仰ぐ。

「…何で記憶失っちゃったんだろう…」

ゆっくりと目を閉じて小さな声でつぶやいた。
記憶を失わなければ、こんなに苦しい思いをしないで済んだのかもしれない。
今さらそんなことを思っても意味がないことはわかっていたが、やるせない気持ちが今日何度目かのため息に変わった。

「ーーーそれは、お前が勝手に一人で夜出歩くからだろ?」
「え!?」

突然の声には慌てて目を開くと、響也が上から顔を覗き込むようにして彼女を見つめていた。

「きょ、響也くん!?」

目の前にいるはずのない人物が現れ、は驚きのあまりバランスを崩してベンチから飛び上がる。
その慌てた様子をみた響也はぷっと吹き出して笑った。

「おい、何だよそのオーバーリアクションは」
「…っ」

笑う彼とは対照的に、の表情はみるみる曇っていく。
すぐにでも屋上にいた理由を話して、謝るべきなのだろう。
そうは思っていてもなかなか話を切り出すタイミングがつかめずは俯いていた。
そんな彼女の様子に響也は苦笑しながら、腕を伸ばして彼女の額めがけてデコピンを食らわせる。

「…きゃっ!?」
「ホント昔から、変わんねぇのな。お前はさ、やべぇってなるといつも両手ぎゅっと握りしめて俯くだろ」

何もかもお見通しの彼に降参したのか、デコピンされた場所を抑えながら恐る恐る視線をあげる。
すると、夕暮れ色に染まった空の下、彼は怒っているどころかいつも通り優しく微笑んでいての胸がどきっと大きく高鳴った。

「…っ」

彼のその笑顔が好きで胸がぎゅっと締め付けられて、顔が熱くなる。
しかし、それと同時に先程の屋上での出来事が頭によぎり胸がズキッと痛んだ。

「…わ、私……」

何か言わなければいけない、そう思って言葉を発しようとしても複雑に絡み合った感情は喉にこびりつき外に出てくることはなかった。
しばらくの間お互い何も言わずに立ち尽くしていると、その沈黙を破るように響也はポケットから何かを取り出しての手に突き出す。
彼から手渡された封筒の中身を確認すると、1枚のチケットが入っていた。

『ヴァイオリンソロコンクール ファイナル』

チケットに書かれたコンサート名をみると驚きのあまり言葉を失ってしまう。
そのコンクールは響也が出場する大会で、明日横浜の大きな会場で行われる。
しかし既にチケットは完売しており、は記憶喪失などもあってタイミングを逃して手に入れることができずにいたものだった。

「失敗しない保証はねーけど……お前来るって言ってたからさ。まぁ、記憶無くす前だから覚えてねーかもしれねーけど」
「…っ!」

もちろん記憶がなくなる前のことはわからないけれど、自信を持って断言できることがある。
それは、きっと記憶を失う前の私でも、今の私でも彼からチケットを手渡されたことがうれしいということだ。

屋上での出来事を気にしていないと言えば嘘になるけれど、
手の中にある1枚のチケットがキラキラと宝物のように輝いて、胸の痛みを消して代わりに幸せを与えてくれる。
―――”心から嬉しい”ただ素直にそう思った。

「響也くん、ありがとう。…絶対応援に行くね」
「…おう、さんきゅ」

嬉しそうに微笑むの顔を見て、響也は安心したのか彼女につられて笑った。

「なぁ、
「…え?」

俯いていたは顔をあげる。
すると、目の前は一瞬暗くなり額に柔らかい感触を感じたと同時にちゅっと軽い音がした。

「隙あり」
「…えっ!?」

触れられた感触が消えると、顔を少し赤くしながらにっと笑っている響也がいて。
額にキスをされたとわかると, の顔が一気に赤くなった。
そしてそんな熱とともに胸の中に懐かしさが込み上げてくる。

(この感触と、この感情……知ってる気がする)

頭の中にほんの一瞬だけ教室の映像がよぎるも今はまだ思い出せそうにない。
その懐かしさが過去の記憶から来るものなのか、それともただの妄想なのかもわからないが、
高鳴る鼓動と感じる幸せに体中が支配されていた。
そんな、の気持ちを知ってか知らずか、響也はふっと優しく笑いながらくるっと背を向ける。

「ほーら、さっさと帰るぞ」
「う、うん!」

そういってすたすたと歩いていく響也に置いてかれないように、は彼の背中を慌てて追いかけた。

さっきの屋上での出来事は?
額に触れた熱の意味は?

頭をよぎるたくさんの疑問を振り払うように、は首を横に大きく振って前を向く。
彼に伝えたい言葉は、そんなことじゃなくて今この胸に抱えている自分の気持ち、のはずだ。

付き合っていたこととか、幼なじみだからとか。

考えれば考えるほど、複雑になっていく疑問の答えを考えるのはもう止めよう。
今の私が思う気持ちを大切にしたいから。

そう考えると不思議と胸がすっと軽くなった。

(明日、彼の演奏がうまくいきますように…)

そう強く願い大きく深呼吸をして空を仰ぐ。

(…それでちゃんと伝えよう。ほかでもない今の自分の気持ちを)

彼の半歩後ろで、はぐっとこぶしを握り締めて決心すると、いつの間にか胸の中から迷いは消えていた。





ーーーー未開封の勇気、今こそ開封の時。






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次が最終話です!更新が遅れてごめんなさい。
ちょっとネットでトラブルに巻き込まれていましたが、解決しましたので復帰しました。

今回の小説はある曲で、「未開封の勇気」という歌詞がでてきて
良い表現だなぁと思い拝借しました。
小説を書きあげて、途中でタイトルが浮かぶのと
タイトルから入って、小説のストーリーを練りこむのとどちらも使うんですけど
今回は後者の方で書いていたので、途中いろいろ遊んで話をそらすとタイトルから脱線するという…、それでも書きあがってよかったです。

それでは最終話まで今しばらくお待ちください!!(2017/5/18)